昆布の話
昆布が旅した「昆布ロード」
昆布は宮城県以北の寒い海でしか採れないので、他の地方へ昆布がもたらされるには、北から南西への輸送ルートが形成されます。
昔は陸路がなく、あったとしても、とても危険でした。
このため、古くから海路が発達しました。海路が開けていたのは日本海側で、太平洋側は波が高く、航路が開かれたのは江戸時代に入ってからです。
最初のコンブロードは北海道から北陸への日本海側の航路です。
鎌倉中期以降には、昆布の交易船が北海道の松前と本州の間を、盛んに行き交うようになり、昆布が庶民の口に入るようになったのは、そのころからです。
北陸から大坂までは陸路で運ばれていました(鯖街道)。
海上交通がさかんになった江戸時代には、北前船(きたまえぶね)を使い、下関から瀬戸内海を通る西廻り航路で、直接、商業の中心地である「天下の台所」大阪まで運ばれるようになりました。
この昆布を運んだ航路の総称を「昆布ロード」と言います。
昆布ロードは江戸、九州、琉球王国(沖縄県)、清(中国)へとのびていきました。特に、琉球王国は薩摩藩(鹿児島県)と清との昆布貿易の中継地として、重要な役割を果たしていました。