誠味の歴史
小倉屋柳本の誕生
昭和23年秋、小倉屋昆布創業者松原久右衛門の出身地と同じ淡路島三原郡西淡町松帆村志知川出身の柳本一夫は、居内家に嫁いでいた叔母からの誘いで、小倉屋居内3代目に当る息子の永吉郎さんの手伝いとして大阪へと丁稚奉公に向かいました。
尼崎出屋敷の店に入店してからは、店主の永吉郎さんを手伝って懸命に働き、1年後には福島に新設された工場の責任者となって大阪へ卸売りをスタートしました。
その後一年半の間に売上は40倍まで伸びてゆきました。
小さい釜からスタートしてやがて大釜に変わり、配達もはじめは普通の自転車からリムの太い荷物の大運搬用の大型自転車に買い替え、一度に1斗タル(今の15㌔)を12タル積んで運べるように腕を磨いていったので、得意先の人からは「トラックさん」が来たと面白おかしく呼んでもらえるほどになりました。
親方の店にお世話になって3年後、昭和26年12月26日、拡張の功績を認めていただいて、神戸市灘区の畑原市場で、いよいよのれん分けを許され独立することになりました。
小倉屋居内商店で学んだことは、世の為人の為に貢献しない限り利益はついてこない、ということでした。事実40倍への売上の発展に応じて部下が増え、多くのことが身についていきました。
そして創業の日を迎えたのでした。